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「千葉県帰性会」とは
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帰性会 について
  「千葉県帰性会」が誕生するまで
 明治初年、徳川幕府より政権を受け継いだ明治政府は、近代国家建設を旗印に、矢継ぎ早に各種施策を施行した。その中には犯罪者の処遇問題もあった。
 明治五年、「監獄則」が制定され、犯罪者の収容施設として、千葉県では「寒川監獄」の設定に始まり、それは現代の「千葉刑務所」に至っている。それと同時に刑期を終了、満期にして尚更生の見込みの見えないもの、釈放後の生計の見込みのないもの等は監獄の別施設「懲治監」を設立収容された。
 明治十四年、「懲治監」制度は廃止され、成人は「別房留置所」に、少年は「懲治場」にと区別して収容された。

 此等の監獄出所者の処遇について明治政府は困惑した模様で、各府県に民間出獄人保護会社設立を推奨された。これにより少年については「千葉感化院」が県下仏教寺院連合により明治十九年に設立され、後の公立少年院に受け継がれて行くことになった。
 成人では明治三十年の恩赦により多数の出獄者を迎え、民間の出獄人保護活動に合わせ、県下仏教会が協力設立したのが「帰性会」の嚆矢「千葉保護院」であった。
 その後、経営は変遷を重ね、名称も「千葉福田院」、「千葉助成会」などと変更、大正四年「千葉県帰性会」と改称
大正十一年には県内各地に四十七支部を設け佛教会の各教区所、郡役所、警察派出所等の協力を得て、一時保護等の更生の助力を実て来た。
 その後、犯罪者処遇の変遷もあり又、幾度かの戦争時代を経て現在に至っている。
千葉県帰性会 広報誌 創刊号「ごあいさつ(帰性会理事長 橋本照稔氏)」より抜粋

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